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正しいディベート訓練入門


JST指導者資料 No.196H11年9月25日
「ディベート」は、よく使われる割に誤解も多い言葉です。
ただの言い合いをディベートと言われたりしています。
ディベートは「議論する」ことです。
また、議論技術を習得するための優れた訓練方法です。
「ディベート」には二つの意味があります。
一つは「議論をする」ということ。
もう一つは「議論技術の訓練」という意味です。
「議論する=ディベートする」とは、お互いに意見を述べ、お互いの意見を検証し、結論や合意に至ることです。
そして「議論する」ためには、論理的思考能力と、論理的なコミュニケーション能力が必要です。
ただの言い合い(相互の検証がないこと)や、感情的意見を述べることは、「議論する」とはいいません。
例えば、テレビのワイドショウなどで有名人同士が言い合いをしているのを、「ディベート」とはいわないのです。
「ディベート」のもう一つの意味「議論技術の訓練」とは、議論をするために必要な能力を鍛える方法ということです。
議論するためには、論理的でなければなりません。
論理的にわかりやすく述べなくてはなりません。
相手の意見を検証するためには、傾聴力と分析力、冷静な判断力がなくてはなりません。
論理的思考能力と論理的コミュニケーション能力が必要です。
しかし、これらの能力は生まれながら身に付いているものではありません。(稀にそういう人もいますが)
つまり、訓練しなければならないのです。
そのためにディベートという方法があります。

なぜ、ディベートなのか。

論理的思考力と論理的コミュニケーション能力は、なぜ必要なのでしょうか。
それは、今までのコミュニケーションのやり方が通用しなくなったからです。
これまでは、相手の心情を「察する」、あるいは語らず相手に「察し」を求めるというものでした。
私たちが、同じ考え方、感じ方をしているなら、「察する」ということは容易でしょうし、すべてを語らずにすむのなら、それほど効率的なことはありません。
しかし、今は「語らず」にはすまないのです。
なぜなら、一人一人の価値観、考え方が多様になってきたからです。
価値観、考え方がバラバラであれば、一つの事柄を述べても、出される結論は幾通りにもなってしまいます。
例えばあなたが部下に「ひとつ連絡しておいてくれ」といったとしましょう、すると部下の人は、次のように聞き返してくるかもしれません。
「連絡とは、どの方法でしますか。直接会いに行きますか、電話でしょうか、ファクシミリでしょうか、それとも電子メールがいいでしょうか。
連絡する内容は、何をしますか……」といった具合です。
「そのぐらい、察しろよ」と思っても、察しようがないのです。適切な指示を出さなければ、あなたが思っていたのとは違う結果を招きかねません。
今は的確に表現する能力が求められているのです。
的確に表現するためには、思考が整理されていなければなりません。
思考の整理、つまり論理的に考える力がないと、伝えることもできないのです。
そこで、ディベートの訓練が役立ちます。
ディベートの方法 ディベートの訓練は、演習つまりディベート(議論)をして、様々な能力開発をしてゆきます。
通常、次のステップを踏んで訓練はおこなわれます。
ディベートの説明(ディベートのやり方について) ディベートの準備 ディベートの演習 ディベートの判定と講評 訓練ですから、ただディベートをさせるのではなく、次のルールに基づいておこなわれます。

ディベートの訓練には、四つのルールがあります。

1.ディベートの訓練では、議論するテーマ(ディベートでは、「論題」といいます)はひとつです。
論題は、何らかの行動の提案が内容となっています。
例えば、「日本はサマータイム制を導入するべきである」など。
2.相対する二つの立場に分かれて議論をします。
二つの立場とは、ひとつは論題を肯定する側、つまり論題で示されている行動をとりましょうという立場です。
例えば、「日本はサマータイム制を導入するべきである」なら、サマータイム制をやる、という側になります。
もう一つは、論題を否定する側、つまり論題で示されている行動はとらない、という立場です。
サマータイム制についていうなら、サマータイム制はやらない、という側になります。
二つの立場に分かれるとき、自分の意見と役割上の意見(肯定、否定の意見)は、切り離して訓練します。
自分の考えを言えないのはおかしい、と思う方もいるかもしれません。
自分の意見と役割上の意見を切り離すことには、二つの理由があります。
ひとつは、感情的にならないためです。
論理的に議論するための技術を学習するのに、感情的になってしまっては意味がありません。
なぜ自分の意見と役割上の意見をを切り離すことによって、感情的にならずにすむのでしょうか。
人は人格と議論を一致させてしまった時に、感情的になりやすいのです。
例えば、「その意見は良いけれども、あなたがいうから嫌なんです」といわれたら、議論の中身よりも、発言者に対して感情的になってしまいます。
自分がそう思っているから、肯定あるいは否定に立つのではない、役割として肯定、否定の意見を述べているのだ、となれば人格と意見を切り離して考えることができます。
それによって感情的にならずにすむのです。
もう一つは、多角的な視点を持つためです。
ディベートの訓練では、肯定をやるか否定をやるかは、試合の直前に決めます。
そのために準備段階では、ひとつの問題を肯定否定の両面から検討することになります。
それによって、多面的な視点をもてるようになります。
3.議論は一定の規則に基づいておこなわれます。
発言する回数を順番・時間などが決められています。
時間制限などの一定の負荷をかけることによって、論理的に考える力、コミュニケーションスキルを鍛えます。
一定の負荷をかけるというのは、肉体の訓練と同じです。
筋力を鍛えるときには、普段の動きに重りを付けたり、回数を多くしたりします。
それと同じように、一定時間内にという枠を設けることで、適切に表現する力、傾聴する力などを鍛えてゆくわけです。
4.最後に審判によって勝敗が決められます。
審判は、肯定と否定の議論のどちらに説得力があったかを判断し、勝ち負けを決めます。
  なぜ、勝敗を決めるのか、それには二つの理由があります。
一つは受講者により積極的に参加してもらうためです。
いくら研修とはいえやはり勝てばうれしいですし、負ければ悔しいものです。
受講者を競争的な状態におくことで、勝つためにより積極的に参加するだろうと考えます。
もう一つは、論理的に説得力のある議論を展開してもらうためです。
審判がいることで、肯定否定の説得する向きは、相手ではなく第三者の審判に向かうことになります。
もし、肯定と否定の間だけで議論をすると、時として詭弁や強弁あるいは相手の揚げ足とりになってしまうかもしれません。
しかし、冷静に聞いている第三者がいれば、相手をヘコますだけの議論は通用しなくなります。
冷静に聞いている第三者には、詭弁などは説得力を持たないのです。 以上がディベートのルールです。
ディベート研修を成功させるための条件 研修が成功だったどうかは、受講者が何らかのスキルがえられたか、あるいはそのスキルの重要性に気づいたかです。
具体的にどのようにすれば研修として成功するのか、いくつかのポイントを説明しましょう。
1.研修期間を十分にとる。

研修期間は、最低でも2日間は必要です。
ディベートの説明、演習の準備、演習、講評にに時間がかかるからです。
時々、3時間でやってくださいとか、半日でできないでしょうかと問い合わせがあります。
私は、不可能だとしてお断りしています。短時間では、何らの成果も得られないからです。

2.受講者数と講師のバランスをとる。

講師1人に対して、受講者数は16人ぐらいが最適です。
十分な講評、アドバイスをするためです。
受講者は100人に対して講師1人という依頼もあります。
ディベートはできますが、講評は十分にできません。
受講者はただディベートの形をなぞっただけになってしまいます。
講師の講評によって、受講者は気づきを得たり、スキルアップが図られるのです。

3.適切な講師を手配する。

適切な講師とは、ディベートのやり方を熟知し、的確な講評、判定、アドバイスができる人です。
講評は、議論の悪いところだけを指摘するのではなく、改善モデルまでを示さなくてはなりません。
欠点を指摘されただけでは、受講者は今後どのように改善してゆけばいいのかわからないからです。
講師にはモデルを示すだけの実力が必要です。

講師を選ぶ際、次の3つの条件に当てはまるかどうかをチェックしてみるといいでしょう。
1)ディベートの経験があること。これは当然のことですが、ディベートそのものの経験がなければ、説明することも講評判定することもできません。
2)ディベートの審判の経験があること。審判の経験とは、研修での審判経験だけではなく、さまざまなディベート大会での審判経験があることです。
ディベートの大会は、小学生から中高生、大学生、社会人を対象として数多く開かれています。
各種大会での審判は、教育的指導力と審判としての能力が問われます。
そこで審判経験を積んでいることは、それだけ実力あるということになります。
例えばディベート甲子園(全国中学高校ディベート選手権大会)では、地方大会から全国大会まで、延べ数百人の方が審判として参加しています。
これらの大会で審判をしているのは、ディベート講師としての実力がある証明になるでしょう。
3)ディベート研修講師の経験があること。これは当然のことです。
これからは論理的思考能力、論理的コミュニケーション能力が要求される時代です。
それらの能力を鍛えるのにディベートは最適な方法です。是非、ディベート研修を取り入れてみて下さい。